今日のデキゴト:歴史を早送りすると、それはパラレルなタイムラインでできていた!
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歴史を早送りすることで見えてくるもの。
歴史を俯瞰からみることで見えてくるもの。
さいきん、そんなことによく想いを馳せる。
上の動画は紀元後からの世界の宗教の広まり方を、早送りで見せている動画である。
紀元前より勢力を増してきた「ローマ帝国」から始まり、暗殺と流行病等の影響で反乱が頻発するようになり、対策として行われた非ローマ市民への市民権授与が、ひいてはさらなる混乱をまねき、ゲルマン人の侵略も重なって西ローマが滅亡するなど、ローマ帝力の勢力が衰えている中で、帝政初期に着実に信者を増やしていった「キリスト教」は2世紀末には帝国全土まで教線を拡大していった。
西ローマが滅亡したあと、唯一残った東ローマが正式に「ローマ帝国」を継承。ローマ帝国の中でも、ギリシア的性格の強い地域はローマ教会を分離し、「ビザンツ帝国」として名前を変えていった。
7世紀後半は、戦乱・疫病等の影響によりイスラム勢力等に侵略され、ローマ帝国に十字軍を要請。しかし当初の目的と違い、経済的要求が強まったことから十字軍に逆に侵略され、ラテン帝国がはじまる。…
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国境線の侵略、滅亡が、戦乱・疫病によって繰り返され、
既存のものは地域性によって名称を変え、
信じるもの同士がぶつかりあい、譲れずに争って
そんな歴史を見てみると
私達が生きている「今」も他でもないこの一本の、歴史の延長戦上にすぎないことが分かる。
これは歴史学でも、生物学でもなく、たんに私個人の哲学という小さな部屋の中の話でしかないことを念頭におきつつ。
よくこの地球は、ニンゲン一個体の体の中の、いち細胞に過ぎないんじゃないかと思うことがある。
もともと細胞は、作られるシステムと共に、壊れるシステムも同時に持っていて
その個体全体の状態を保つためにあえて自ら壊していくアポトーシス的システムが
この地球にもあるのかもしれないと思ったことがあった。
アポトーシスとはつまり、「予めプログラミングされた細胞死」のことである。
地球そのものを生かすために、きっとニンゲンが内部的に争うように出来ていて、
あるいは一度出来た「常識」というものが(宗教に限らず)、分裂し、分裂したうちの片方が滅亡し、またぶつかって統合し、分裂し…という形で、滅亡と再生を繰り返す自然界のシステムにのっとっているような気すらしてくる。
ここ2000年程で人口はものすごい勢いで増えていったけど
次の2000年で、また人口が著しく減少していくんだとしたら
そういった壮大な、人単位では考えられない地球の長い寿命を基準にしてみてみると
私たちは、地球っていう一個体の「一生涯」の中、生まれては滅びていくアポトーシス的指令を与えられた「ひとつの細胞」なのかもしれない。
もう一度いうと。これはなんの根拠もない、単なる「もしも」の話である。
そしてそういった滅ぼす本能を持った私達が、じゃあなぜ、愛や情を大切にするようになったんだろうと
考えると、それがいつ誰にどう与えられたものなのか、今度はそちらの歴史を巻き戻してみたくなる。
むかし・いま・みらいは単一線ではなくて、複数のパラレルな線でできているので、本当の意味で俯瞰になって考えるには、たくさんの年表達をずらりと並べて重ねてみないと、なかなかみえてこない。
上の映像にしてもそうである。
一件宗教の教線を単一的にビジュアル化しているようでもあるが、その裏には「疫病」「民族の侵略」「法律の改訂」「国の滅亡」「科学の進化」といった、実にありとあらゆる複雑な「歴史の線」が入り乱れた複雑な交差点の上に、なりたっているものだ。
その交差点上を、「歴史の変わり目」とか「時代の境目」と呼ぶのだとすれば
これから「時代がかわった!」と思えるような、大きな「境目」はいつくるのだろうか?
なにをもって「変わり目」と定義すればいいのだろうか。
経済は、技術は、都市は、教育は、福祉は、医療は..それぞれのパラレルなタイムラインは、今後どう交わって、どう分岐し、どう滅び、残っていくのか。
そういったことを予測するためにも、いっそ宇宙的な視点で、パラレルな歴史をみつめなおすことをしたい。そうおもった。歴史というよりは、系譜学という方が正しいかもしれないが。
いまとむかしとみらいをつなぐ、ぼんやりしたながーい道の上で
でも前と後ろだけじゃなくて上と下にも、その線がのびていることに気づいて
「歴史は単一線ではなく、なんとおりもある。」とおもったときに
長い横長の歴史に、重力がうまれた。
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