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2015年12月7日

今日のデキゴト:歴史を早送りすると、それはパラレルなタイムラインでできていた!

スクリーンショット 2015-12-08 16.34.40https://www.facebook.com/619408644867021/videos/620140051460547/

歴史を早送りすることで見えてくるもの。

歴史を俯瞰からみることで見えてくるもの。

さいきん、そんなことによく想いを馳せる。

 

上の動画は紀元後からの世界の宗教の広まり方を、早送りで見せている動画である。

紀元前より勢力を増してきた「ローマ帝国」から始まり、暗殺と流行病等の影響で反乱が頻発するようになり、対策として行われた非ローマ市民への市民権授与が、ひいてはさらなる混乱をまねき、ゲルマン人の侵略も重なって西ローマが滅亡するなど、ローマ帝力の勢力が衰えている中で、帝政初期に着実に信者を増やしていった「キリスト教」は2世紀末には帝国全土まで教線を拡大していった。

西ローマが滅亡したあと、唯一残った東ローマが正式に「ローマ帝国」を継承。ローマ帝国の中でも、ギリシア的性格の強い地域はローマ教会を分離し、「ビザンツ帝国」として名前を変えていった。

7世紀後半は、戦乱・疫病等の影響によりイスラム勢力等に侵略され、ローマ帝国に十字軍を要請。しかし当初の目的と違い、経済的要求が強まったことから十字軍に逆に侵略され、ラテン帝国がはじまる。…

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国境線の侵略、滅亡が、戦乱・疫病によって繰り返され、

既存のものは地域性によって名称を変え、

信じるもの同士がぶつかりあい、譲れずに争って

そんな歴史を見てみると

私達が生きている「今」も他でもないこの一本の、歴史の延長戦上にすぎないことが分かる。

 

これは歴史学でも、生物学でもなく、たんに私個人の哲学という小さな部屋の中の話でしかないことを念頭におきつつ。

 

よくこの地球は、ニンゲン一個体の体の中の、いち細胞に過ぎないんじゃないかと思うことがある。

 

もともと細胞は、作られるシステムと共に、壊れるシステムも同時に持っていて

その個体全体の状態を保つためにあえて自ら壊していくアポトーシス的システムが

この地球にもあるのかもしれないと思ったことがあった。

アポトーシスとはつまり、「予めプログラミングされた細胞死」のことである。

 

地球そのものを生かすために、きっとニンゲンが内部的に争うように出来ていて、

あるいは一度出来た「常識」というものが(宗教に限らず)、分裂し、分裂したうちの片方が滅亡し、またぶつかって統合し、分裂し…という形で、滅亡と再生を繰り返す自然界のシステムにのっとっているような気すらしてくる。

ここ2000年程で人口はものすごい勢いで増えていったけど

次の2000年で、また人口が著しく減少していくんだとしたら

そういった壮大な、人単位では考えられない地球の長い寿命を基準にしてみてみると

私たちは、地球っていう一個体の「一生涯」の中、生まれては滅びていくアポトーシス的指令を与えられた「ひとつの細胞」なのかもしれない。

 

もう一度いうと。これはなんの根拠もない、単なる「もしも」の話である。

 

そしてそういった滅ぼす本能を持った私達が、じゃあなぜ、を大切にするようになったんだろうと

考えると、それがいつ誰にどう与えられたものなのか、今度はそちらの歴史を巻き戻してみたくなる。

 

むかし・いま・みらいは単一線ではなくて、複数のパラレルな線でできているので、本当の意味で俯瞰になって考えるには、たくさんの年表達をずらりと並べて重ねてみないと、なかなかみえてこない。

上の映像にしてもそうである。

一件宗教の教線を単一的にビジュアル化しているようでもあるが、その裏には「疫病」「民族の侵略」「法律の改訂」「国の滅亡」「科学の進化」といった、実にありとあらゆる複雑な「歴史の線」が入り乱れた複雑な交差点の上に、なりたっているものだ。

その交差点上を、「歴史の変わり目」とか「時代の境目」と呼ぶのだとすれば

これから「時代がかわった!」と思えるような、大きな「境目」はいつくるのだろうか?

なにをもって「変わり目」と定義すればいいのだろうか。

経済は、技術は、都市は、教育は、福祉は、医療は..それぞれのパラレルなタイムラインは、今後どう交わって、どう分岐し、どう滅び、残っていくのか。

そういったことを予測するためにも、いっそ宇宙的な視点で、パラレルな歴史をみつめなおすことをしたい。そうおもった。歴史というよりは、系譜学という方が正しいかもしれないが。

いまとむかしとみらいをつなぐ、ぼんやりしたながーい道の上で

でも前と後ろだけじゃなくて上と下にも、その線がのびていることに気づいて

「歴史は単一線ではなく、なんとおりもある。」とおもったときに

 

長い横長の歴史に、重力がうまれた。

 

 


2015年12月6日

今日のデキゴト:there is no such a border.

rhizomatiks research× elevenplayの「border」を見に行った。鑑賞と体験どちらも参加させていただきました🙇

本当に素晴らしすぎました、コトバにするのがもったいないぐらい!!!

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感動してすぐさま空間とそこで起きてるデキゴトをスケッチしてみました。

観客として舞台全体を観劇したあとに、WHILLに乗りoculusを通して体験するW構成。

タイトルの名の通り、観る側が「境界線」を探るような内容で、実像と虚像の間、空間と映像の間、観客とパフォーマーの間で、さまざまな境界線がいりみだれていました。

とくにWHILLとoculusによって、それらの境界線をあくまで「受け身」になって体験すればその意味がわかるとおもう。

虚像のダンサーと実体のダンサーが同空間に共存したり、白い舞台美術がCGで拡張されて形を自由自在にかえたりという、視覚と聴覚のバーチャルな個室に閉じ込められたと思ったら、ダンサーに体をタッチされて肉体が現実に引き戻される。

そういった「境界線」を、あえてさまよわせる導き方が、演出としてとてもわくわくしました!

image image image imageそしてその演出を実現する緻密な制御がすばらしすぎて…。モーキャプと再帰性反射材たち、オキュラスにWHILL、そしてカラフルなホロライトたち…一体いくつ制御してるんだろう!?というぐらい!80回を超える公演で一度も公演がストップすることなくやりきったのだとか。本当に頭があがりません。敬意。

imageimageimageそしてなによりダンサーさんの体の動きのうつくしいこと!人間のからだと白い箱とWHILLが、もうぜんぶいきものみたいにみえてきて、一周回って自分の体の中の生命力みたいなものに気づいていくかんじ。

おもしろいな、とおもったのは、観客として、WHILLにのって舞台の中で体験していても、舞台を外から見ていても、自分が「客観的」かつ「受け身」であることが一切かわらないことだった。

生身の空気の中にいるはずなのに、oculusを通してみると舞台があっという間に「映像」にかわった。

(いやここでは映像というコトバはふさわしくないかもしれない。映像と空間の間。)とくにWHILLに運ばれているため、能動的なアクションはほぼ無い状態で、さらにはヘッドホンのおかげで外部の音環境とも少し断絶されて、たまに扉があく個室で映画をじっくり鑑賞しているような不思議なきもちになった。なんというか、舞台特有の緊張感とか、生っぽさとか、失敗するんじゃないか、というハプニング性を一気にかんじなくなったのが不思議だった。(本当は舞台の上にいるから、より、緊張するはずなのに)安心感があった。

たぶん、自分がどこかにいっちゃうんだとおもった。空間全体を把握して自分の居場所を確かめる人間的本能が、オキュラスを通した拡張現実の世界だと通用しないというか。場所の設定のほうがどんどんかわるので、自分の立ち位置や存在感が、ふっと消失するかんじがしてそれがおもしろかった。

本当にいろんな境界線について最近考えてたのでとてもホットだったし、いろいろ更にやりたいこともできました。刺激をいただきました!!

真鍋 大度さん、MIKIKOさん、elevenplayチームのみなさま、制作チームの皆様、素敵な体験をありがとうございました!体験できてほんとうによかった。。!


2015年12月5日

今日のデキゴト:i pad pro とApple Pencil


imageツールはどんどん進化しても

なんだかやっていることは基本的におんなじだ。

我が家にi pad proという

魔法のペンと魔法のパッドがやってきた。

上のスケッチはその2つをつかって5分ほどで適当に描いたものだ。

 

まったくストレスがなかった。

デジタルとかアナログの境がまたひとつきえた。

このツールはほんとうにすばらしい。

ここまで「手描き」と差異ないほどの感覚で(それもipadで)描けることにまず驚いたし

思いついたらすぐ絵を描いたり

撮った写真の上にスケッチをかきこんだり

カメラ・ペン(それも限りない種類の)・ 紙(それも限りない種類の)

が全部つまってるから

もはや四次元ポケットなんじゃあないかと思うほど便利。

 

デザイン・建築・映像などなどアイデアやビジュアルに関わる仕事の人は

重宝するとおもいます。

 

 

たいせつにつかおうとおもいます。

これで毎日のデキゴト、ヒトコト、オモイツキに

挿絵がくわわるかも、しれません。

 

 

 

 

 

 


2015年12月5日

今日のヒトコト:「こ」

ここ どこ そこ 

ねこ むこ みこ

らっこ だっこ やっこ

ひよこ あのこ きのこ

つちのこ たけのこ かずのこ

こ こ こ

こけこっこ

 

にほんごっておもしろい

にほんごってなんかかわいい


2015年12月3日

今日のデキゴト:ゆめのくにをつくりたい

Disneyland would never be completed. 

It will continue to grow as long as there is an imagination left in the world.

ディズニーランドは、決して完成することはない。

この世に想像力が残されている限り。

(ウォルト・ディズニー)

 

オリエンタルランドに入ったイトコと「夢の世界」について家で話し合った。

 

いま、魔法が実現できる時代にいきていること…

そして魔法の裏側にはタネと仕掛けと技術と努力があるということ…

自分が出来ることをつきつめることが

ほかのひとを笑顔にする何よりものひけつであること…

「かわらないもの」 と 「かわっていくもの」=

「笑顔にしたいという気持ち」 と 「魔法の実現方法」…。

 

いつの時代もかわらないひとのこころと

時代とともに変わっていく何かを。

 

その二つ両方をもっていればなんだってできるということ。

 

 

 

そんな話をしていたら

かのじょはよろこんで、

「普通の家が空想の世界になった!」

といいました。

そう、空想するのは場所をとわないんだ。

空想はどんな場所をもワンダーランドにかえてしまう。

 

彼女は家族を驚かせるのが大好きで

お母さんの誕生日には、バースデーケーキを買って冷蔵庫にかくしておいて、

ドアから冷蔵庫まで、ぬいぐるみの道をつくって

おかあさんをあるかせました。

冷蔵庫の中にはたくさんの飾り付けとイルミネーションを仕込んで

ぬいぐるみにいざなわれたおかあさんは最高のバースデーをむかえたのです。

 

どんなことでもいいから

想像して、じぶんがいまできるかぎりのすべてをつかって

実現してみると、

そこはりっぱな夢の国になるんだ。

 

 

 

フランスのSFの父、ジュール・ヴェルヌは

人が想像したものが人がかならず実現できる、といいました。

技術と科学はどんどん進化していく。

実現の方法の選択肢はどんどんふえていく。

 

 

さああとは想像をやめないだけだ。

 

想像をやめないかぎり、

そこに夢の国は存在しつづけるのだから。

 


2015年12月3日

今日のデキゴト:やまのうえでれきしとみらいがけんかした。

ハワイ島マウナケア山の頂上で、世界最大の天体望遠鏡をたてる計画が無効になった。

山のかみさまをまもりたい先住民と うちゅうの神秘をあばきたい

科学者とがぶつかったから。

想像のせかいがぶつかりあって、未来が少しだけまた予定をかえた。

どうしよう、やまのうえで、れきし と みらい がけんかした。

 

今日のデキゴト:

ハワイ巨大望遠鏡 建設許可無効の判決

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151203/k10010328321000.html

(NHK News Web)


2015年12月1日

[Media] ethicaに活動の一部を取り上げて頂いています。 

個人と世界のサスティナビリティーを提案するソーシャルグッドなエシカルコンシャスマガジン「ethica」に、古屋遙の活動を一部取り上げて頂いています。

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安室奈美恵さんのMVやルミネのクリスマスを演出、今注目のクリエイター古屋遥さん「わたしが輝く」スノードームをルミネのクリスマスで体験!!

主にルミネのクリスマス、ルイヴィトンでのホログラムライブについてご紹介頂いています。

掲載頂き有難うございます!


2015年12月1日

大きな切り株椅子

うれしいこと。

昨年デザインタッチ「スワリの森」でつくった『大きな切り株椅子』が、横浜にある奈良幼稚園にお引越しすることになりました!

昭和49年創業の大きな幼稚園で、園内の遊具など全部園長さんが手作りしていてカラフルでいるだけで元気になれそうな素晴らしい幼稚園です。

奈良幼稚園 http://narakids.jp/index.html

一年間、倉庫でじっとしていた椅子だけど、またお日様の光を浴びれることに!今度は沢山の子どもたちの笑顔つき😍 これほど嬉しいことはありません。他のイスについても今後のお披露目が徐々に決まってきているので、また随時ご報告していきます。

「大きな切り株椅子」は、「世界一の生物」と言われるジャイアントセコイア杉をモチーフにしたイスで、樹齢2000年という時の流れに、座って感じることができる椅子です。約2000年の年輪には、キリスト生誕から今にいたるまでの科学とデザインの年表がパラレルに記してあります。

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⚫️「スワリの森」は、DESIGN TOUCH 2014芝生広場にてディレクションさせていただいた、科学とデザインをテーマにした企画展。約20種類の、科学の秘密がしかけられたイスを作りました。

TOKYO MIDTOWN DESIGN TOUCH| スワリの森 The forest of chairs
http://harukafuruya.com/gallery/suwarinomori/

下の写真は昨年、搬出時の写真です。2014.11.03、搬出の夜、沢山の人たちに座ってもらえた椅子たちの周りの芝生は、すっかりはげていて、大きな切り株椅子をどかすと、椅子の下にはそこだけ手付かずの芝生がまあるく綺麗に生えていて、そこだけミステリーサークルのようだと、みんなで笑ったのが最後だったなあ。

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こうやって、未来に少しでも自分が作ったものを残していけるよう、来年はより「未来に残るものづくり」を目指していこうと思います。

架空のペットショップや、未来を想像するプロジェクトをどんどんやっていきたいな。

また幼稚園に切り株が設置されたら遊びに行こうかと思ってます。^^

 


2014年12月20日

[Blog]CAROL ON STREETやりました!

路上でクリスマスキャロルを歌うイベント「Carol On Street」を行いました。

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一ヶ月前ぐらいから温めてたクリスマス企画。仕事の合間にこつこつ準備してた企画。

ホットワインやホットココアを飲みながら、路上やお店の中で、通行人を巻き込みながらクリスマスキャロルをゲリラで歌う。という企画です。

6年ほど前に、三茶の路上でクリスマスキャロルを歌うイベントを主催したことがあったんだけど、それを友人に話したら、のってくれて、今年も実施することになったのでした。

Facebook Groupでメンバーを募り、今年はどこで歌おうかと話していたら、H.P.FRANCEがディレクションするクリスマススペ―ス「場と間-BAtoMA」に許可を頂き、表参道ヒルズ下地下3階のイベントスペース「スペース・オー」で公式に歌えることに!(すごい!)

寒空の下、熱く歌い合う野生のキャロルが、一気に、洗練された大人のキャロルに!まさにキャロルのシンデレラストーリー…!まさにまさに、路上で拾われた子犬のような気分!! 何はともあれ、こんな素晴らしい舞台で歌える事は、そうそう無いです。キャロル隊一同、本当に大興奮でした。

下はその時の様子。キャロル隊は10人ほどだったんですが、そこに一般のお客さんも入ってきてくれて、ずらりと列を作って一緒に歌ってくれました。H.P.FRANCEがディレクションする場と間BAtoMAの素敵な空間に歌が響いて、本当に素晴らしい空気だった。知らない人同士で歌うこと、こんなシンプルなことが、なぜこうも、スペシャルに感じられるんだろう。

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歌ったのはこんな曲達。

Silent Night /サンタが街にやってくる/We Wish a Merry Xmas/ Last Christmas/あわてんぼうのサンタクロース/もろびとこぞりて/赤鼻のトナカイ/All I want for Christmas is You / ジングルベル/もみの木….

通行人誰でも参加できるようにしたかったので、誰もがよく知るキャロルをチョイス。その場その場で、外国の方が立ち止まったら英語の曲を歌ったり、子供がいたら赤鼻のトナカイを歌ったり、臨機応変に選曲。

今回はセレンさんというミュージシャンの方が参加してくださり、ギターでその場で伴奏・前奏をつけてくださったので、とてもリッチなキャロルになりました! 生声にダンサブルな抑揚やリズムが加わって、しっとり歌う、というよりは踊れるキャロルに。本当に、楽しかった!

スペース・オーで閉店間際まで歌わせていただいたあとは、いざ路上にGO。

★★

歩きながら歌い、途中お客さんを巻き込んで歌い…

 

最後は…

何と..

無謀にも…

 

警備員さん溢れる明治神宮前の交差点でキャロル..!

 

すぐ止められるんだろうなとおもいきや、警備員のお姉さんが、にこりと笑いかけてくれたのは、本当に幸せな気持ちになった。ああ、東京の路上でも、歌えるんだな。(本当は駄目なんだろうけど。クリスマス、ありがとう。)

☆☆

もともとは、イギリスの大学でパントマイムのサークルに所属していた時に、実はこの路上でキャロル企画を、やっていました。

西洋は路上で表現する文化が日本より浸透していて、正直そこが羨ましくも思うのだけれど、でもそれをただ制度や風習の違いと割りきってしまうのも、何かひっかかっていて。

楽しいこと、幸せなこと、それが海外の文化であろうと、そういう「幸せのヒント」は、どうやったら国境を越えられるのだろうね。幸せなニュース、幸せのコツ、そういうものが地球上びゅんびゅん飛び交って、トレードされる、そんな日々が、訪れたら良いのにな。

 

いろんな人種の人と、人生の半分以上、生活を共にしてわかったことなんだけど。国籍や宗教、生活の背景がちがおうとも「ただの人間」としての歓び(悦び)はそう変わるものではないだろうと、ずっと前から、信じている。それは今も変わらない。これから一生変わらない私が唯一誇れる価値観だと思ってる。

ロンドン コヴェントガーデンのカフェで出会った大好きな風景がある。ストリートミュージシャンやオペラ歌手の卵の方が、テラス席のお客さんのためだけにバースデーソングを歌い、その場にいる全員で拍手喝采したのでした。ロンドンにかぎらず、私が住んでいたイギリス、ドイツはじめ、西洋ではそういう風景が、本当に当たり前のように、生活の中にあった。

もちろん、そこは宗教も価値観も違う異国の地。文化的背景が違うのは当たり前のこと。日本でフラッシュモブが難しいという話をよく聞くように、全く同じことをやったとしても、それが同じ「ハッピー」であるとは、限らない。ということも、自覚した上でいうけれど。

 

「ハッピー」が、国境を越えて浸透したら、それはどんなに素晴らしいものだろうか。それを実現するには、どうすればいいんだろうか

いつもそんなことを、考えてる気がする。

きっとそこには何かしらの「翻訳」が必要で、その翻訳というのは、デザインだったり、言葉だったり、ストーリーだったり、つまりは演出だと思うんだけれど、つまりは、私はそういう「いろんな人が知ってる幸せのコツ」を翻訳して、一人でも多くの人に伝えるために、演出の仕事をしてるんだと、思いました。

今回は、キャロルを日本人がもっとも自然体で楽しめる「文脈」に落としこむところまでは設計できなかったけれど、また次回 路上でパフォーマンスをする企画があったら、今度はちゃんとそこを設計したいな。

警備員のお姉さんがにこりと微笑んだとき、みんなで歌をうたうことを、何も疑わず、自然な姿勢で出来る社会は素敵だと改めて思った。(勿論お姉さんは目をつぶってくれたんだろうけど。)それが、今回、自分の心の中に書き記したい一文。

 

そしてなにより

 

一緒に企画を実現してくれた友人、一緒に準備してくれて、歌ってくれた友人たち・お客さんたち、H.P.FRANCE皆様、今回参加出来なかったけどアイデアくれたり次回は参加したいと言ってくれた友人たち、本当に、本当にありがとうございました。

ああ、なんか、結局熱い日記みたいになってしまった。。。

「楽しかったぜええうおおお」というブログにしようと思ったのに。笑

 なにはともあれ…!

みなさんが素敵なクリスマスをすごせますよーに。

I wish you all a Merry Christmas and a Happy New Year☆

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