今日のデキゴト:there is no such a border.
rhizomatiks research× elevenplayの「border」を見に行った。鑑賞と体験どちらも参加させていただきました🙇
本当に素晴らしすぎました、コトバにするのがもったいないぐらい!!!
感動してすぐさま空間とそこで起きてるデキゴトをスケッチしてみました。
観客として舞台全体を観劇したあとに、WHILLに乗りoculusを通して体験するW構成。
タイトルの名の通り、観る側が「境界線」を探るような内容で、実像と虚像の間、空間と映像の間、観客とパフォーマーの間で、さまざまな境界線がいりみだれていました。
とくにWHILLとoculusによって、それらの境界線をあくまで「受け身」になって体験すればその意味がわかるとおもう。
虚像のダンサーと実体のダンサーが同空間に共存したり、白い舞台美術がCGで拡張されて形を自由自在にかえたりという、視覚と聴覚のバーチャルな個室に閉じ込められたと思ったら、ダンサーに体をタッチされて肉体が現実に引き戻される。
そういった「境界線」を、あえてさまよわせる導き方が、演出としてとてもわくわくしました!
そしてその演出を実現する緻密な制御がすばらしすぎて…。モーキャプと再帰性反射材たち、オキュラスにWHILL、そしてカラフルなホロライトたち…一体いくつ制御してるんだろう!?というぐらい!80回を超える公演で一度も公演がストップすることなくやりきったのだとか。本当に頭があがりません。敬意。
そしてなによりダンサーさんの体の動きのうつくしいこと!人間のからだと白い箱とWHILLが、もうぜんぶいきものみたいにみえてきて、一周回って自分の体の中の生命力みたいなものに気づいていくかんじ。
おもしろいな、とおもったのは、観客として、WHILLにのって舞台の中で体験していても、舞台を外から見ていても、自分が「客観的」かつ「受け身」であることが一切かわらないことだった。
生身の空気の中にいるはずなのに、oculusを通してみると舞台があっという間に「映像」にかわった。
(いやここでは映像というコトバはふさわしくないかもしれない。映像と空間の間。)とくにWHILLに運ばれているため、能動的なアクションはほぼ無い状態で、さらにはヘッドホンのおかげで外部の音環境とも少し断絶されて、たまに扉があく個室で映画をじっくり鑑賞しているような不思議なきもちになった。なんというか、舞台特有の緊張感とか、生っぽさとか、失敗するんじゃないか、というハプニング性を一気にかんじなくなったのが不思議だった。(本当は舞台の上にいるから、より、緊張するはずなのに)安心感があった。
たぶん、自分がどこかにいっちゃうんだとおもった。空間全体を把握して自分の居場所を確かめる人間的本能が、オキュラスを通した拡張現実の世界だと通用しないというか。場所の設定のほうがどんどんかわるので、自分の立ち位置や存在感が、ふっと消失するかんじがしてそれがおもしろかった。
本当にいろんな境界線について最近考えてたのでとてもホットだったし、いろいろ更にやりたいこともできました。刺激をいただきました!!
真鍋 大度さん、MIKIKOさん、elevenplayチームのみなさま、制作チームの皆様、素敵な体験をありがとうございました!体験できてほんとうによかった。。!
Comments are now closed.