今日のデキゴト:テクノロジー系譜学
…というものをずっとやりたいと思っている。(すいません、今日は系譜学を解き明かすところまで落とし込めてないですが)ずっと思っていたことをベースに今日話をしたので忘備録というかメモ。
来年おこなう発明にむけて。
きょうもおいしいものをたべながら、あーだーこーだとやりたいことを議論した。
石器時代から、大砲といった発明の時代がから、コンピューターがうまれ、ソフトウェアがうまれ、一時期人の意識は「かたちないもの」(インターネット)に移行して、ハードウェア系ものづくりにふと穴が空いた瞬間があった。そしていまはまた、ハードウェアが復活して、インターネットが手を組んで、あーだーこーだとやっている。
わたしたちは、テクノロジーとどこにいくのだろうか。
そんなふうに、テクノロジーを先読みして、「やりたいこと」をたくさん広げて、整理したらいろいろみえてきた。
時代が追いついたときに一気に爆発するものといますぐにできそうなことを分類する。
つまりは、 現状のリソースで思い描く最善のアウトプットに近い状態で世に出せるか、否かという判断をするということだ。
例えるならバッテリーや液晶の小型化(それも極めて小型なものの場合)など時代が進まないと並に享受できない技術というものがある。
理由は物理的なものはもちろん、法的、そして「権利的」に。
実にいろんなものが絡み合った結果、私たちはテクノロジーを日々「利用」し「享受」している。
しかしながら作り手として、やることはいつだって、ただひとつ。
そう、やるしかないのだ。考え続けて、作り続けるしかない。
未来のテクノロジー系譜図を思い描きながら、そのうえに「こんなのあったらいいのにな」をプロットしながら、
緻密に、過激に、動き続けることにほかならない。
発想を現在できるありったけのものを使って、構築し、プロトタイピングをしつづけるのだ。
その長い文化構築と発明の時間とうまくつきあうには、
わたしたちは「あそびつづける」しかない。
なんとたのしい人生だろうか。
いまから未来をみて、未来で答え合わせをするんだ。
最高のあそびだ。たのしくてしかたがない。
そんなかんじで。
来年も再来年も、未来にのびるなにかをしんじて、あそびを提案実践しつづけようとおもう。
人生は長いようでみじかく、みじかいようで、長いのだから。